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2007年08月02日
一人のスーパーマンが消えた
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昭和歌謡史に偉大な足跡を残した作詞家で作家の阿久悠さんが昨日70年の生涯を閉じた。
阿久悠さんというと「悪友」というペンネーム通り、私の中では世相を毒舌を交えてを鋭く突く評論家のイメージが強いが、実際には作曲や作家の世界で数々の功績を残した偉大な人物である。
特に作詞家としては、過去にこれほどヒット曲を作った人はいなく、売れている曲を見ると必ず阿久悠の名前が目にするほどである。
また、レコード大賞は「また逢う日まで」「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UFO」「雨の慕情」と5曲受賞している。
その他、「せんせい」「津軽海峡冬景色」などあげればきりがないくらいのヒットメーカーであった。その総数は5000曲以上だといわれている。まさに、昭和40年代後半から50年代にかけての歌謡曲の黄金時代をリードした作詞家である。
また、46年から日本テレビ「スター誕生!」の審査員をつとめ、山口百恵ら花の中三トリオや小泉今日子、岩崎宏美など数多くのスターを生み出したことでも有名であった。
作家としても「瀬戸内少年野球団」では直木賞候補にもあげられ「殺人狂時代ユリエ」では横溝正史賞、その他菊池寛賞、平成11年には長年の功績が認められ紫綬褒章を受けている。まさにマルチ人間でスーパーマンだと音楽業界では言われている。最近では新聞紙上で政治にも触れ、彼の備忘録では国の育成を憂い、彼独自のコラム「書く言う」で変貌する日本の姿を案じて書き続けた。それがなんと159回にも達したという。
死ぬ間際の彼は、ある新聞紙上で「国が乱れてくると、誰もが困ったものだと議員たちを責めるが、その議員たちを選んだのは我々国民でありながら誰一人反省を口にする人はいない」また「自分が1票を投じた人があんな悪いことをして、誠に申し訳ないと謝った主権者を見たことはない。これでは永久に民主主義は機能し得ない」という名文を残している。それが皮肉にも阿久悠さんの人生の最終稿となってしまった。
この名文を今の日本の国民伝えたい心境である。もちろん安倍首相をはじめとする議員諸氏にも伝えて奮起を願いたい。
参考資料:産経新聞 iza より
Drの四方山日記(356)
投稿者 drnakashima : 2007年08月02日 19:01
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